Japanese MD - ADR Science

デバイスラグ 人工椎間板について

 脊椎における人工椎間板置換術に言及する前に、私の専門分野、脳血管内治療における代表的術式、動脈瘤内塞栓術と頸動脈ステント留置術(Carotid Artery Stenting; CAS)について言及する。

 まず、くも膜下出血の原因となる脳動脈瘤に対する治療には、従来の開頭クリッピング術、そしてカテーテルによる動脈瘤内塞栓術、の2つの方法が存在する。動脈瘤内塞栓術では塞栓物質として主にプラチナ製の離脱型コイルを用いるが、1991年にGuglielmiらによる33例の報告がJournal of Neurosurgery1),2)に発表され、世界で初めてその有効性が示された。本邦ではそれより遅れること6年、1997年より当該治療が正式に開始された。その当時無作為化比較検討臨床試験(randomized control trial; RCT)はなされておらず、日本での小規模臨床試験の後に当該デバイス(離脱型プラチナ製コイル)の使用が認められた、という経緯であった。5年後の2002年、英国や欧州を中心としてRCT (ISAT)3)が行われた結果、塞栓術の安全性、有効性が示され本治療普及に追い風となった。

 次に、脳梗塞の原因となる頸部内頸動脈狭窄に対する治療には、従来の内膜剥離術、そしてカテーテルによる頸動脈ステント留置術(CAS)、の2つの方法が存在する。CASは1990年代後半から海外で試験的に開始されていたが、2003年Wholeyらによるglobal registry4)がCASの有効性、安全性を示すこととなり、普及を後押しすることとなった。本邦でCASが開始されたのは2000年初期であり、左記registryの報告前である。当時日本では保険収載されておらず、2004年に発表されたRCT、SAPPHIRE study5)にてCASの安全性、有効性を証明するに至り、2008年に保険収載されたのであった。そのため保険収載前の約7年間、治療費用の一部は病院負担であった。当時我々は「CASが患者さんの利益に適う優れた治療である」との信念の下、治療を行ってきた。

 人工椎間板置換術においてはすでに約30年の歴史がある。そして私の専門分野の脳血管内治療のデバイスと同様、人工椎間板も常にリニューアルされ非常にクオリティの高いものが登場している。何故日本は、脊椎患者に多大なメリットを与え得る、この人工椎間板を新たに導入しないのか?

 新たなデバイス導入時には、「安全性」の検討が最重要課題となることは常識である。しかしながら人工椎間板に約30年の歴史があるにも関わらず、日本では「安全性、耐久性が問題」、「導入はより慎重に」との常套句が、未だに脊椎外科医の人口に膾炙され、一歩も前進しない状況である。これは何を意味するのか?30年の歴史をどのように捉えるかの問題であろうか?RCTでの証明がないと使えないと思っているのか?それとも人工椎間板置換術に何か大きな欠点を見いだしているのか?

 それぞれ考えるに、私見ではあるが一つのデバイスに臨床上30年の歴史があれば充分ではないだろうか?「時期尚早」とする日本の脊椎外科医は、いったい何年の歴史を求めているのか?「時期尚早」とするなら、具体的に他のデバイスとの比較し、待機すべき必要年数を提示すべきである。  次に、医師が「RCTでの証明がないデバイスは使えない」と信じているとすれば、大きな間違いである。これは脊椎外科医も当然承知のことであろう。経験的に有効と認知されている治療があれば導入し、その後RCTでの裏付けがなされるという順序は日本の脊椎外科医には許容されないのか?我々の動脈瘤内塞栓術、CASともにその順序で認知、承認されるに至った。

 Evidenceは当然重要であるが、まずはregistryという形でも充分ではないのか?実際に人工椎間板置換術を肯定するregistryは既に出されている。勿論否定的な論文も存在する。これは我々のCASでも肯定的なRCT、否定的なRCTがともに存在するのと同様である。  また、一つの治療方法、有効性のdataがあれば、それに対するcontraの論文、dataがあるのが常であるため、人工椎間板に対する否定的な論文は実際に存在する。しかしながら、今のところ人工椎間板置換術の術式そのものを否定する様な論文はpublishされていない。質の高い脊椎関連の医学雑誌においては、固定術よりも人工椎間板置換術の方が臨床上優れている論文の方が多い。1984年にドイツで始まった本術式が今も幅広く世界各国で行われていることは、その術式が少なくとも固定術に劣らないことを意味している。

 ネット上、人工椎間板に関する日本の脊椎外科医のコメントには否定的なものが多い。「人工椎間板は5年しか保たない」などといった妄言は論外であるが、そのコメントの殆どは稚拙なものである。人工椎間板関連の論文はもとより欧米の医学書すら読まず、単に印象論でコメントされていると考えられる。日本に導入されていない術式である以上、情報が少ない事と推測するが、今やPubMedで検索すれば誰にでも容易に情報(論文)は得られるはずであり、国際学会に参加すれば欧米の医学専門書は容易に入手出来るはずである。知らないことを知っているかの様に適当にコメントしているだけであり、専門家(医師)として言い訳の余地は全くない。知らないことは「知らない」とコメントする方が、医者として良心的であろう。

 世界の脊椎外科には、可及的に関節の可動性を残すMotion Preservationの分野があり、人工椎間板などがそれに該当するが、日本は先進国の中でも人工椎間板置換術を導入していない希少国であるため、残念ながら参加出来ない。より率直に言えば、相手にされていない状態である。日本の脊椎外科医は、人工椎間板置換術導入に30年で足りないというならば、「より慎重を期して」100年待つつもりであろうか?100年後安全性が確立されたと認識され、人工椎間板置換術が導入された暁には、欧米は人工椎間板での経験をふまえた、さらに先進的な治療に移行していることが予測される。医療の分野で、特に外科という熟練したskillが要求される分野では、時間的損失の回復は失われた時間に比例して困難となる。

 我々脳血管内治療医は、世界に約6年遅れはあるがRCT前に動脈瘤内塞栓術を導入し、現在まで良好な成績を得ている。頸動脈ステント留置術もRCT前にoff-labelではあるが導入し、その後も良好な成績を得ている。いずれもそれぞれ従来の開頭クリッピング術、内膜剥離術があるものの、より高いクオリティ、成績を求めた結果であった。脳血管内治療医が患者さんのために「より良い成績」を求めて導入し、厚労省と何度もdiscussionして保険収載を勝ち得た結果である。脳血管内治療の分野では今後も新たなデバイスが次々と導入され、デバイスラグは解消されて行く予定である。我々は慎重ではあるが、常に挑戦している。

 デバイスは多い方が良い。それは固定術においても人工椎間板置換術においても同様である。そしてその中から患者さんに適した術式、より優れたデバイスを医師が取捨選択すれば良いのである。私は全ての固定術を人工椎間板置換術に置き換えろ、と言っている訳ではない。治療方法の選択肢を増やすべきなのである。医師が「優れた治療である」という確信、信念の下に、日々己のskillを磨き、当該デバイスを導入、有効活用すれば良いのである。特に人工椎間板には約30年の歴史があり、ドイツでは確立された普通の治療なのだ。同じ先進国で何故日本が導入しないのか?

 最近人工椎間板の製造元の一つに問い合わせたが、日本の脊椎関連の学会において2013年現在、実際の導入はもとより導入検討の動きすらない、との返事であった。現場の臨床医が動かなければ厚労省が動くことは殆どない。

 最後に日本の脊椎外科医の良心を信じたい。早期より人工椎間板置換術を導入していれば、職人肌の日本人に数多くの名医が生まれていたはずであり、精度の高い臨床試験も行われていたであろう。今からでも遅くはない。早期に人工椎間板置換術の導入を。

References
1) Guglielmi G, et al. Electrothrombosis of saccular aneurysms via endovascular approach. Part 1: electrical basis, technique and experimental results. J Neurosurg. 1991; 75: 1-7
2) Guglielmi G, et al. Electrothrombosis of saccular aneurysms via endovascular approach. Part 1: preliminary clinical experience. J Neurosurg. 1991; 75: 8-14
3) International subarachnoid aneurysm trial (ISAT) Collaborative Group. International subarachnoid aneurysm trial (ISAT) of neurosurgical clipping versus endovascular coiling in 2143 patients with ruptured intracranial aneurysms: a randomized trial. Lancet. 2002; 360: 1267-1274
4) Wholey MH, et al. Updated review of the global carotid artery stent registry. Cardiovasc Interv 2003: 259-266
5) Yadav JS, et al. Protected Carotid-Artery Stenting versus Endarterectomy in High-Risk Patients. N Engl J Med 2004: 1493-1501